関東大震災による被害者10万人超の死因、約9割弱が火災

2023年5月30日

火災による死者は約9万2000人
秋葉原付近では、地域ぐるみの消火活動で延焼を阻止。

関東大震災では、各地に発生した火災で大きな被害が生じました。約10万3000人の死者(その内火災によるものが約9万2000人)という悲劇となったのです。
中でも、隅田川沿いにあった「旧陸軍被覆廠跡」(現在の東京都立横綱公園)では、家財を持って避難した約4万人の避難者の内、約3万8000人が四方からの炎に囲まれて焼死しました。
しかし、この地から約2m西側、秋葉原に近い神田佐久間町と神田和泉町では、住民たちの必死の消火努力もあり、延焼を阻止しました。

延焼防止に貢献した多くのこと

巨大地震の発生により電話が不通、道路は損壊や避難する人々で混乱し、消防車の移動もままならない状況でした。また至る所で水道管が壊れ通水不能、消火栓の多くは断水で消火には使えない状態でした。このような状況でしたが、周囲がことごとく消失したにもかかわらず、現在の秋葉原駅(当時は万世橋駅)の東側の神田佐久間町、神田和泉町にあった1,630戸の町は焼け残りました。(下図の「佐久間町」の部分)それにはいくつかの理由があります。

●江戸時代には、数回の大火の火元になった地域だったので、住民の防火意識が強く、他の町より多く消火のための天水桶が設置されていた。
●現在の消防団のような「消防組」があり、毎晩の見回り、消火訓練も実施していたのでポンプの扱いにも慣れていた。
●地震発生後は、地域の長老たちがリーダーとなり、「桶やバケツを持って集まるように」と住民に声を掛け、バケツリレー方式で消火活動を行った。
●和泉町では、ポンプ所の貯水池の水で消火活動、佐久間町では南側の神田川の水を消火に利用できた。
●近隣に帝国嘲筒(ぽんぷ)というポンプメーカーがあり、目黒消防署に納入前のポンプを借りることができた。また、三井慈善病院(現在の三井記念病院)の自衛用消防ポンプも活用できた。

火災を食い止めた「地の利」

また、見逃せないのが、この地域の市街地の構造が延焼防止に効果を発揮するものだったことです。下の地図の青線で囲んだ部分が延焼を阻止した神田佐久間町、神田和泉町ですが、北東部には耐火構造の内務省衛生試験所、三井慈善病院、北側にはミツワ化学試験所、市村座劇場や郵便局などのレンガ構造の建物群があり、それぞれが防火壁の役割を果たし延焼を防ぎました。また南側には神田川が流れ、消火水として利用できただけでなく、防火帯の役割を果たしました。