100年前の巨大地震「関東大震災」

2023年2月8日

わずか 5 分間に 3 回の大地震が連続発生し、
全壊建物 11 万棟超、死者 10 万人超の大きな被害

100 年前、1923 年(大正 12 年)、午前 11 時 58 分に神奈川県西部を震央とするマグニチュード 7.9 の巨大地震が発生しました。これが関東大震災の本震です。           ところが、3 分後の M7.2(震央:東京湾北部)、5 分後の M7.3(震央:山梨県東部)と巨大地震が短時間に連続して発生し、それから 24 時間の間に震度1 以上の余震が 159 回、震度 5 弱以上の地震は 15 回も発生しています(左表ではその内 11 回の余震のみ掲載)。全壊した建物は 11 万棟以上、建物の下敷きや火災による死者は 10 万人を超えました。
この大震災から100 年が経過しましたが、改めて関東大震災についてまとめてみます。

大きな揺れが繰り返し起きたことで
建物が次第に歪み多くの木造住宅が全壊した。

<全壊建物数>東京:約2万4000棟、神奈川:約6万4000棟
<建物倒壊による死者数>東京:3546名、神奈川:5795名
当時の神奈川県の人口は東京府(1943年に東京都となる)の約3分の1でしたから、その被害の甚大さがわかります

左図は、5分間に3回連続した巨大地震の震央(×印)と、推定震度分布を示したものです。震央が「神奈川県西部」→「東京湾北部」→「山梨県東部」と、異なる場所で発生した地震の被害が重なり、首都圏での全壊建物数が11万140棟、それに関連して亡くなられた方が1万1086名の大きな被害をもたらしました。被害は東京より本震の震央に近い神奈川の方が、
下記のように大きなものになっています。

地震直後に発生した火災は約 46 時間延焼し
9 万 1781 名の方が火災の犠牲者となった。

左の地図は内閣府の『広報 ぼうさい No.40』に掲載されている、震災当日の17時時点での東
京市内の延焼範囲を示したもので、灰色の部分は、1日17時までの延焼範囲、ピンク色の範
囲が最終的な焼失地域です。(原出典:中村清二「大地震による東京火災調査報告」、竹内六蔵「大正12年9月大震火災による死傷者調査報告」:『震災予防調査会報告』第100号、震災予防調査会、1925年に基づき作成されたもの)
火事が46時間にわたって延焼を続け、多くの被害を出した原因は次のようなものです。
●地震発生時で、多くの家庭の台所で火を使っ
ていたこと
●日本海沿岸を台風が通過していて、1日から翌
日にかけ関東には強風が続いていたこと
●避難者の多くが燃えやすい家財道具を持って、避難場所に密集したこと
などが挙げられています。

特にたくさんの方が亡くなられたのが、両国駅の北側の旧陸軍省被服廠跡の空き地(現在の都立横網町公園)でした。周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出して避難してきました。各所で発生した火災が被服廠跡に迫り、火の粉が家財道具などに燃え移りました。激しい炎は巨大な炎の竜巻、火災旋風を巻き起こし、逃げ場を失った人々を一気に飲み込んだということです。この地だけで3万8000人もの尊い命が失われました。首都圏全体の火災による死者は9万1781名。東京では6万6521名、神奈川では2万5201名、千葉では59名が亡くなっています。
多くの犠牲者を出した関東大震災から得られる教訓は多数あります。
●地震に強い家(断震、制震、免震、減震など)に住む
●新居を建てる場合、転居の際には、ハザードマップで地盤のリスクを確かめる
●地震が発生したら、すぐに火の元を消す
●大きな家具が倒れないように固定しておく……など
首都直下地震、南海トラフ地震などの懸念されている大地震は、いつ発生してもおかしくありません。早めに対策を考え、備えておくことが大切でしょう。