【関東大震災から100年】神奈川県の地震被害と震災からの復興➋

2023年11月28日

山下公園は震災の 復興 瓦礫による埋立で作られた。

神奈川県の本格的な復興計画のスタートは、1924(大正13)年から5ヵ年計画の国道・県道の整備でした。国道1号線(保土ヶ谷~小田原町区間)、国道31号線や県道横須賀三崎線を始めとする25路線、総距離約50kmを国庫補助550万円、県費154万円での工事が開始されました。
その他の復興事業は、震災の被害を受けた橋梁など178の架橋、31校の小学校建設、上下水道整備などですが、震災復興の象徴ともいえるのが、震災で倒壊した建物の瓦礫で埋め立て、1925(大正14)年から4年かけて作られた山下公園などの公園事業です。山下公園は震災の記憶を留めるだけでなく、力強く再生し更なる発展を実現させた復興の象徴ともいえるのです。
神奈川県の復興は、現在でも随所に見ることができます。いくつかご紹介しましょう。

●横浜三塔
昭和初期、横浜には大きな建物は多くありませんでしたが、震災で倒壊・焼失した神奈川県庁本庁舎は、1928(昭和3)年に鉄筋コンクリート造で中央に高さ50m弱の塔をもつモダンな建物に生まれ変わりました。また、横浜税関も倒壊・焼失しましたが、1934(昭和9)年に約51mの塔を備えた建物になりました。震災前に竣工した開港記念横浜会館も倒壊し、1927(昭和2)年に高さ36mの塔がある建物として復旧されました。この3つの塔は、横浜港に入港する船舶の目印となり、外国船員からトランプの絵札になぞらえ「キングの塔(神奈川県庁本庁舎)」「クイーンの塔(横浜税関)」「ジャックの塔(開港記念横浜会館、後に横浜市開港記念会館と改称)」と呼ばれるようになりました。この3つの塔は「横浜三塔」として現在も横浜のシンボルになっています。
●復興公園
震災復興事業の中で、山下公園、野毛山公園、神奈川公園、日の出川公園の4公園が復興公園として計画されましたが、山下、野毛山、神奈川の3公園が整備されました。唯一、海に面した立地の山下公園は、震災で倒壊した建物などの瓦礫を使って埋め立てられ、日本初の臨海公園として訪れる人々の憩いの場となっています。
●横浜公園球場
 現在横浜DeNAベイスターズの本拠地となっている横浜スタジアムの前身は、1876(明治9)年に完成した「彼我公園(後の横浜公園)」。居留外国人のためのクリケット場が造られ、野球、サッカー、ラグビーなどの競技にも使用されていました。1900(明治33)年に横浜公園球場が作られましたが、震災で被災。1929(昭和4)年に震災復興事業で新たな横浜公園球場が完成し、戦後のアメリカ軍接収時代を経て、1952(昭和27)年に横浜市に返還されました。1978(昭和53)年に、当時の横浜大洋ホエールズの本拠地である横浜スタジアムとして生まれ変わりました。
●復興橋梁
 震災による火災からの避難者は、当時圧倒的に多かった木製の橋の焼失などにより逃げ場を失いました。その反省から178ヵ所の橋の改修、新設計画が進みました。復興橋梁は、耐震性・耐火性を重視した鋼製、コンクリート製を中心として架橋されました。100年の時を経て架け替えられた橋も数多くありますが、現在も37の震災復興橋梁が健在です。大岡川の都橋、太田橋、石崎川の高島橋、西平沼橋、中村川の吉野橋など、震災からの復興の記憶を刻んだ橋の姿を見ることができます。