阪神・淡路大震災から30年

2025年1月31日

たくさんの教訓を残し、暮らしを変えた

1995年1月17日の午前5時46分頃、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源とするマグニチュード7.3、最大震度7の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生しました。この地震による死者は6434人、負傷者は4万3792人という大きな災害でした。大きな地震だったので、図のように東北南部から九州までの広範な地域で地震の揺れが観測されました。当時の震度7は地震計ではなく、後の現地調査で決定していました。震度7の地域は、淡路島北端、神戸市須磨区から西宮、宝塚市にかけて東西の帯状に分布していました。この地震は、淡路島北部の野島断層と六甲断層系で発生したものです。野島断層、六甲断層は、ほぼ東北東ー西南西の走向を持ち、右ずれを伴いながら六甲山側が隆起する逆断層運動を起こしてきたことが明らかにされています。震度7の地域はまさにこの断層帯に位置します。

阪神・淡路大震災をきっかけに変わったこと、新たに生まれたもの

この地震は早朝に発生し、神戸、大阪という大都市を襲った直下型の地震のため、地震の揺れによる被害、火災による被害、高速道路を含む道路の被害、インフラの破壊などが発生しました。今年は地震から30年という節目のと年ですが、この震災の教訓から次のような生活に関わる多くの変化が生まれました。

●震度階級が8階級から10階級へ
 1996年10月に、それまでの8階級から震度5と震度6が、それぞれ震度5弱・震度5強・震度6弱・震度6強に分割され10階級に変更されました。同時に、これまで体感と現地調査で震度を決定していましたが、すべて地震計による客観的データで観測するようになりました。

●カセットコンロ・ボンベの規格統一
 1998年2月に日本工業規格(JIS)が改正され、ボンベの形状が1種類に規格化され、どのメーカーのカセットコンロでも統一されたボンベを使うことができるようになりました。

●水道レバーが「下げると出る」上げ止め式から
「下げると止まる」下げ止め式が主流に
 阪神・淡路大震災で、物が落ちて水道レバーを押し下げ、水が出っぱなしになったことなどから、経産省の日本工業標準調査会が1997年に、2000年3月末での「上げ止め式」の廃止を決めました。

●災害復興ボランティアが一般化
 阪神・淡路大震災では、全国各地から167万人ものボランティアが集まり、復興の大きな力となったことから、この年を「ボランティア元年」を呼ぶようになりました。東日本大震災では550万人となり、大地震のみならず集中豪雨などの大きな災害時には、多くのボランティアがサポートに向かうようになりました。

●厚生労働省の災害派遣医療チーム(DMAT)発足
 大規模災害や事故に際し、傷病者の生命を守るために医療提供体制を支援する目的で、2005年4月に災害派遣医療チームが発足しました。

●消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)発足
 1996年(平成8年)に発足しました。阪神・淡路大震災の教訓を踏まえて、大規模災害や特異災害に対応するため、東京消防庁に創設されました。このチームは特別訓練を受けた精鋭で、消火、人命救助、救急活動を同時に実行します。

●それまでの新耐震基準が新・新耐震基準(2000年基準)へ
 耐震基準は1981年に、その3年前に発生した宮城県沖地震を受けて「新耐震基準」となりましたが、阪神・淡路大震災を受けて、2000年に木造住宅の耐震性能を向上させるための「新・新耐震基準(2000年基準)」となり、「地盤調査の実施と、地盤の耐力にあった基礎の設計の義務化」「柱、筋かい、耐力壁の接合部への金物の取付けを義務化」「耐力壁のバランスのよい配置」「床の剛性を高める」ことを定めました。

●地震保険の加入者増加
地震保険の加入率は、阪神・淡路大震災前までは10~20%の間でしたが、この震災を契機に毎年増加し、現在は30%を大きく超えるようになりました。