極端な情報不足の関東大震災。デマが飛び交い痛ましい悲劇が起きた
関東大震災が発生した1923年当時の主要マスコミは、新聞と雑誌以外にはありませんでした。その新聞社も雑誌社も被災し、数日間は号外すら発行できませんでした。大地震が起こり、その直後から街のあちこちから出火し炎が広がっていても、人々はどこに危険があるのかもわからず逃げ惑うしかなかったのです。
そのような情報不足の中、誰かが叫んだ噂話や嘘に尾ひれがつき「朝鮮人の暴動が始まった」「井戸に毒を入れられた」というデマが広がり、自警団による朝鮮人の虐殺という痛ましい悲劇を巻き起こしました。
下図は9月3日に、大阪朝日新聞が発行した号外ですが、これにも「朝鮮人暴徒が起こって、横浜を経て八王子に向かって火を放ちつつあるのを見た」「震源地は伊豆大島三原山の噴火とされているが・・・・」という伝聞情報(噂話)による誤報が平然と流されています。
▲大阪朝日新聞が発行した号外
▲東京時事新報の記事
上図は、大震災から約50日後の1923年10月22日付東京時事新報の記事ですが、「拳銃」「不逞団」「抜刀」「橋梁破壊」「飲料水へ毒」「爆弾」「殺人」などの物々しい文字があふれていますが、どれも根拠のない不確かな記事ばかりです。
また、記事をよく見ると、出来事の日付が「9月2日」「9月3日」と大震災直後になっています。新聞そのものの発行は9月10日前後から再開しましたが、事件関係情報に関して報道規制されていたので、活字になるのがこれほど遅れたのです。問題は、事件発生から50日経ってもまだ事の真相がつかめず、新聞も結果としてデマの流布に加担してしまったことです。
情報に溢れた現代では、真偽を見極める「眼」が重要。
このような情報の少ない時代から、1925年の日本で最初のラジオ局が開局により次第に情報化時代へと歩み始めます。世界で最初の公共放送を行ったラジオ局は、1920年にアメリカのペンシルバニア州ピッツバーグに開局されたKDKA局です。日本でもラジオ放送の実験が行われていましたが、関東大震災により情報伝達メディアとしてのラジオへの期待が高まり、短期間でのラジオ局開局となったのです。そして、ラジオ受信機の普及により正確な情報をいち早く受けることが可能になりました。
それから100年を経た現代、テレビやインターネットなどが加わり「情報過疎時代」から「情報大洪水時代」へと変化しました。必要な情報は手軽にたくさん得られるようになりましたが、災害時には新たな情報問題が発生しました。
「個人情報の壁」も新たな課題
2011年の東日本大震災でも、情報の発信と入手に苦労する事態が発生していました。被災地以外ではテレビ、ラジオ、新聞などのマスメディアは機能していましたが、被災地である福島県のある町では震災直後には役場の電源のダウンで防災行政無線を流せず、原発事故の避難指示を流すのが翌日になり避難が遅れました。
この町では、町民が各地にばらばらに避難したので、町民の安否確認するのにも苦労しました。役場の職員が各地の避難所を回り、住民情報を集めようとしても「個人情報の壁」が厚く困難を極めたといいます。3ヵ月後に別地域に仮役場を設け、インターネットを駆使することで「どこに誰が避難しているか」を把握することができるようになり、ようやく役場からの必要情報を住民に流せるようになったといいます。
大地震に対する備えとして、マスメディアが機能停止したり電源がダウンすることで情報を入手できなくなることもあることを想定し、充分な対策を立てておく必要があります。
また、混乱の中では必ず流言飛語、フェイクニュースが流れます。人づてに聞くのではなく、スマホの画面でそれを見ると、いっそう信じやすくなるので用心が必要です。情報洪水の時代では「どれが本当の情報か?」を見極めなければならない、本物情報と偽物情報が混在する時代になっています。日ごろから、情報の真偽を確かめることを意識しておくことが大切でしょう。