東京の復興エネルギーを醸成した展示イベント
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「震災復興展覧会」「帝都復興展覧会」
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▲帝都復興展覧会が開催された市政会館
(後藤・安田記念東京都市研究所所蔵)
災害の記憶を留め、将来の災害に備える
震災のちょうど1年後、東京市(当時)は、上野の東京自治会館で「震災復興展覧会」を開催しました。この展覧会の目的は、震災の記憶をしっかり留めること、復興の参考になる学術的な資料を収集し、今後の災害対応を検討し危機意識を官民で共有することでした。
また復興計画が終わりに近づいた1929(昭和4)年に、財団法人東京市政調査会は、東京市(当時)と復興局の後援を得て「震災」と「復興」をテーマにした「帝都復興展覧会」を開催しました。
期間は10月19日~11月10日の23日間。落成したばかりの市政会館(日比谷公会堂と一体になった建物)で行われました。出品者(団体、個人)は85、出品総点数は約7万点という大規模なものでした。
自然災害は完全に防ぐことはできませんが、過去の教訓を学び、それに基づいて対策を講じることで被害を少なくすることは可能です。このような記憶と記録を残すことがとても重要なことなのです。
防災は「正しくものごとを恐れる」ことが基本
帝都復興展覧会の出品者は、東京市、復興局、横浜市、宮内省、陸軍省、海軍省、鉄道省、逓信省、商工省、大蔵省、文部省、内務省、警視庁などの官公庁、東京市政調査会、東京博物館、帝国大学、諸新聞社、放送局などの団体がほとんどを占め、個人出品は10人、27種に過ぎませんでした。
総出品数は1189種類、そのうち震災記念物が91種、復興資料が1098種と9割以上が復興資料でした。島津製作所が出品した東京市中心部の5000分の1の模型、復興事業の道路計画を示した靖国神社付近の街路模型、八重洲通りの東京駅付近の街路模型などが東京復興のイメージをわかりやすく見せていました。東京駅付近の街路模型では、拡大鏡で地下埋設物の様子まで見せています。
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▲靖国神社付近の街路模型
(東京都復興記念館所蔵)
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▲東京駅八重洲橋付近の街路模型。
背景の東京駅はイメージ
(東京都復興記念館所蔵)
これらの展覧会に出品されたものの一部は、関東大震災で多くの死傷者を出した旧被服廠跡に建てられた「東京都復興記念館」(東京都墨田区横綱2-3-25)で見ることができます。
夏目漱石の薫陶を得た、文学者で物理学者の寺田寅彦博士は「天災は忘れた頃にやってくる」という示唆に富んだ言葉を残しています。寺田博士は、45歳のときに関東大震災の惨状を目撃し、熱心に被害調査を行い「正しくものごとを恐れる」を説いています。これはまさに防災に携わる人たちのみならず、私たちが肝に銘じておかなければならない理念です。