【関東大震災から100年】神奈川県の地震被害と震災からの復興❶

2023年11月16日

建物倒壊による被害は神奈川県の方が遥かに大きかった!

下図は、関東大震災の揺れによる住家の全潰率と震度を示したものです。震源地は神奈川県の直下にあり、建物倒壊による住宅全潰・半潰(現在では「全壊・半壊」と表記するが、関東大震災当時は、木造受託が多く、潰れるように壊れるので「潰」の字を使用していた)による被害は神奈川県の方が大きかったのです。

▲内閣府広報「ぼうさい」
より、住家全潰率と震度分布。
出典:武村雅之著『関東大震災-大東京圏の揺れを知る』

神奈川県の住宅の全潰は6万3577棟(東京は2万4469棟)、住宅全潰による死者・行方不明者は5795人(東京は3546人)でした。
関東大震災では、東京で火災により6万6521人もの死者を出したことで、「東京の地震」という印象が強いのですが、実は「神奈川県が大きく揺れた地震」だったのです。しかも、火災による死者も2万5000人強、土砂崩れや津波による死者が836人、工場等の倒壊による死者も1006人と、様々な要因による死者が発生したのも、火災による死者が多くを占めた東京とは異なるものでした。

●住宅全潰・半潰
当時の横浜市は現在の市域の10分の1ほどの地域に、約42万人が暮らしていました。東京市の人口の約5分の1でした。ところが住家全潰棟数では、東京市の約1万2000棟に対し、横浜市では約1万6000棟でした。人口が約5分の1であるのに、これだけの住家被害が出たのは、横浜市など、神奈川県の揺れがとても大きかったことを物語っています。

※諸井孝文、武村雅之「関東地震(1923 年 9 月 1 日)による木造住家被害データの整理と震度分布の推定」、 「関東地震(1923 年 9 月 1日)による被害要因別死者数の推定」『日本地震工学会論文集』

●火災
横浜市は、地震発生後すぐに300ヵ所近くで火災が発生し、多くの人が逃げ切れずに焼死。神奈川県内では2万5201人の方が亡くなっています。横浜市内には運河や橋が多く、その橋が破壊されたり、焼け落ちたりして逃げ道をなくした人たちが命を落としてしまいました。
●土砂崩れ
土砂災害による死者は神奈川県全域で500人以上でした。浦賀町(現・横須賀市浦賀町)では、亡くなった307人の約半数が土砂崩れによる犠牲者。その他、横須賀市、相模原市、伊勢原市、箱根町、小田原市など県内各所で土砂崩れが発生しました。県西部の片浦村(現・小田原市)では、根府川駅近辺の土砂崩れで列車が海中に転落し112名の方が命を失いました。
●津波
震源域が相模湾内であったため、伊豆半島、三浦半島、房総半島などの広い範囲に津波が押し寄せ、熱海市では最大12mの高さの津波でした。鎌倉町では多くの方が津波の犠牲となってしまいました。
●工場被害
工場倒壊による犠牲者も、保土ヶ谷町(465人)、平塚町(147人)、足柄村(135人)など5ヵ所。川崎町の富士瓦斯紡績では工場と寄宿舎の倒壊で224人が亡くなりました。